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※ カッコ内の日付等のクリックでその日記へジャンプします。
※ 写真クリックで別窓に少し大きな写真が表示されます。
★INDEX
☆ ( ~2012/06/30 ) 【 出国→サンフランシスコ 】
☆ ( 2012/07/01 ) 【 ブエノスアイレス市内観光 】
☆ ( 2012/07/02 ) 【 世界遺産:イグアスの滝(ブラジル側) 】
☆ ( 2012/07/03 ) 【 世界遺産:イグアスの滝(アルゼンチン側) 】
☆ ( 2012/07/04 ) 【 世界遺産:ナスカの地上絵 】
☆ ( 2012/07/05 ) 【 世界遺産:クスコ市街(Part1) 】
☆ ( 2012/07/06 ) 【 世界遺産:マチュピチュ歴史保護区 】
☆ ( 2012/07/07 ) 【 世界遺産:クスコ市街(Part2) 】
☆ ( 2012/07/08 ) 【 世界遺産:リマ歴史地区観光 】
☆ ( 2012/07/09 ) 【 サンフランシスコ市内観光 】
☆ ( 2012/07/10 ) 【 帰国 】
◇ 旅日記1(2012年6月30日まで) 【 出国→サンフランシスコ 】
写真左
夕刻のサンフランシスコ空港。空気はちょっとひんやり。
写真中
今夜のお宿。周囲は実に殺風景な感じで、そんなアメリカンな雰囲気が
けっこう好きだったりします。
写真右
2日目以降ほとんどの移動でお世話になったLAN航空。
JALのマイレージが貯まるので、国内旅行が1回は出来そう。
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意外と簡単には済まなそうな南米大旅行日記ですが、
とりあえずスタートします。
◇1日目(6月29日(金))
「南米世界遺産紀行12日間の旅」の初日は22時の羽田空港国際線ターミナル集合で終わり(早!)涙
初めて来ましたが、どこもかしこもピッカピカ。搭乗口に至るまでに、ショップがやたらと多いです。
*羽田 24時05分発 → サンフランシスコ 17時20分着
南米に入る前にサンフランシスコに1泊します。日付変更線を通過するので同日入国。実際は意外と
長い一日になります。眠気をこらえながら、機内ではアニメ「ももへの手紙」を観ました。ジブリっぽい絵と
お話しのように感じましたが、なかなか楽しめる作品で「虹色何とか」より良かったです。
サンフランシスコに来たのは30年ぶりくらいでしょうか?もうほとんど覚えていないのですが、空港は
こんなにキレイではなかったように思います。(Wikiによると2000年12月オープン)
19時過ぎに空港近くのお宿(ホ○デイイン)に到着。夕食は館内レストランでサンドイッチプレート。
例によって、パンもポテトも量が多くて飽きてきます。ここで総勢26名のメンバー状況が明らかに(笑)。
お一人様参加は男性3名女性5名、新婚さん含めご夫婦が5組。旅友だちのご婦人方4組。
福岡から11名参加されているとか。
部屋でもロビーでも、ノートPCの無線LANには全く反応しません。当方、今どきのWiFiには対応していない
ので、失敗だったかも。TVで「NHK World」が観られる訳でもなく、英語のシャワーはカンベンして欲しい
のでTVも見ず、ネット接続は早々とあきらめ、翌日以降に備えサッサと寝るのみ。
◇2日目(6月30日(土))
日の出は遅いようで目覚めた時は真っ暗。モーニングコール 06時30分、お宿出発 08時30分。
*サンフランシスコ 12時45分発 → リマ 24時15分着
9時間20分のフライトで機中泊。目的地はまだまだ先。
◇ 旅日記2(2012年7月1日) 【 ブエノスアイレス市内観光 】 ☆ TOPへ戻る
写真左
レコレータ墓地にて 「 エビータ(エバ・ペロン)ここに眠る 」の銘板
マドンナ主演の映画が思い出されます。
写真中
「大聖堂」脇の道からオベリスコが霞んで見えました。
写真右
堂々たる「 大聖堂 」は1827年完成。
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*リマ 01時10発 → ブエノスアイレス 07時35分着
リマで深夜の乗り継ぎ。これが時間的にギリギリで、危機一髪な慌しさ。眠かったハズで、
4時間25分のフライトの記憶はほとんどありません。「 機内のアナウンスは陽気なスパニッシュ♪ 」
だったのでしょうか??(笑)
早朝のブエノスアイレスは雨が降ってきそうな曇天。初の南米上陸地はアルゼンチン。
真冬にあたるのですが、寒さは思ったほどではありません。
やっと到着したわけですが、何時間かかってここに着いたのか、そんな計算も面倒。ひたすら遠かったと
思うのみ。かなり前に 「 ブエノスアイレス 」 という映画があり、あのやるせないムード、最果てにいる
感覚が蘇ったりもしました。
当地の市内観光は次のフライトまでの 「 つなぎ 」 ではありますが、2度と来ないと思えば、ありがたい
サービスとも思えます。ここに限らず、訪れた都市はどこも植民地時代の面影を濃く残し、行政的な建物は
風格あるものばかりで、まるでヨーロッパに来たかのようです(詳しくないけど)。
市の中心を貫く 「 7月9日通り 」 は片側10車線はありそうな大通りで、その先には街のシンボル
「 オベリスコ 」 が見えます。
まず最初に訪ねたのが 「 レコレータ墓地 」 。とてもお墓とは思えない、文化財的に貴重と言われるものも
ある立派な納骨堂が所狭しと並んでます。
その後、世界3大劇場の一つ「コロン劇場」を外から見て、「 大聖堂 」 へ。ちょうどミサの最中で、神父の
言葉や賛美歌が荘厳な雰囲気をかもし出しておりました。
最後は湾岸エリアの 「 ボカ地区 」 へ。派手な色使いのショップや飲食店が密集し、原宿と渋谷と
アメ横を混ぜたような所です。地元の名士 「 マラドーナ 」 人形(?)がやたらと目に付き、日本でもよくある
「 顔をくりぬいたボード 」 があったり、カップルのアルゼンチンタンゴダンサーがいて、頼めば一緒に
写真を撮ったりできますが、いずれも有料。ちょうどデジカメの電池が無くなり、その必要もなかったです。
*ブエノスアイレス 13時25分発 → イグアス 15時10分着
アルゼンチン国内線の座席配置は「3席-3席」。映像モニターは頭上の荷物入れから出てくるタイプで、
機内数箇所に。LAN航空の機内では、素人相手の「ドッキリカメラ」的バラエティ(?)が何故かしょっちゅう
流れていました。出てる人はタレントぽかったです(汗)。明るい国民性なのでしょうか??
イグアス空港はアルゼンチン。今夜のお宿はブラジルにあり、道中、バスで国境を通過することになり
ます。手続きはツアーガイドさんがしてくれるので、楽ではありますが、結構時間がかかり待たされます。
ちなみに、今回の南米訪問3か国でヴィザが要るのはブラジルのみ。
お宿は今回唯一のデラックスクラスで、確かにモダンな感じではありました。
「 部屋の窓に鍵が無い 」 というのは大らかなのか、ズボらなのか微妙でございました(哀)。
やっとベッドで寝られる喜びを感じつつ、早めに就寝。
◇ 旅日記3(2012年7月2日) 【 世界遺産:イグアスの滝(ブラジル側) 】 ☆ TOPへ戻る
写真左、写真中
ひたすら滝、滝、滝。何も語ることはございません、という感じです。
写真右
「 ヘリ遊覧飛行 」 にて。滝はもちろん、その向こうに広がるアマゾンの大密林もスゴかった。
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◇4日目(7月2日(月))
モーニングコール 07時30分、お宿出発 09時30分。
イグアスには2連泊。今日は飛行機移動ナシでゆっくりと 「 イグアスの滝/ブラジル側 」 観光満喫
コースの1日。アマゾン熱帯雨林の端にあたるのでしょうか、道路沿いの樹木がそんな雰囲気で
生い茂っています。
4月頃でしたか 「 当地は雨が降らず滝の水量が通常の半減 」 といったニュースを読み、少々不安を
抱いていました。現地ガイドの方によると2,3週間前にかなりの雨が降り、今日は「ちょうど良い見頃」。
雨が降った直後は滝の水量は多くても泥水で汚く、見栄えは良くないそうで、なかなか難しいモノです。
お天気も最高に晴れていて、本当にラッキーです。
入り口を抜け、しばし遊歩道を進んで行きます。チョウチョがやたらと飛んでおり、山椒のような鼻をつく
香りに包まれます。これは何だったのでしょう。
滝の轟音が耳に入って、いきなりアッという空間に出ます。
見渡す限り、滝が流れているではありませんか!
カメラのフレームには収まりきらない絶景です。何というスケール。
どこを観ても虹がかかり、時間的にもベストタイミング。滝に接近できる場所があり、ものすごい水しぶきに
簡易レインコートを着用していても、大して役に立ちません。正に 「 百聞は一見にしかず 」 。
映像を何度も見て、行った気になっていましたが、目の前に広がる大自然にひたすら唖然とするばかり。
大迫力に圧倒されっぱなしでございました。
午後は国立公園内のレストランでバイキング昼食の後、オプションの「ボートツアー」へ向かいます。
滝の直前まで行って、キャーキャー騒ぎながらひたすら水をかぶるマゾヒスティックなもの。
ボート乗船中、何度か一人ずつ写真を撮られます。 「 ボートツアー 」 終了後、さっそくそのCD-ROM
発売開始。ナンて早いの。手の平に収まるカメラで撮っていて、てっきりデジカメだと思ったら動画も
撮っていて、本当に商売上手(買わなかったけど)。
何か非常に気分が盛り上がりまして、事前に告知が無く、突然開催されたオプション 「 ヘリ遊覧飛行 」に
誘導されてしまいました。飛行時間は15分くらいで、お代はUS$110.00。お客を3人ずつ乗せたヘリコ
プターが滝の周囲を旋回。滝の上に付くまで眼下に広がるアマゾンの密林も絶景。予定外の出費は
痛かったとはいえ、陸から水面からそして空からと、大満足の1日でした。
お宿に戻り 「 ビジネスセンター 」 (と言ってもエレベータホール脇にPCが3台あるだけ)を見つけ
夕食後にネットにチャレンジです。フロントで試しに30分用カードを7ブラジルリアル(\286)で購入。
金箔部分をこすって出てくるID番号を、専用画面の所定欄に入力すると、その時間分だけネットに
つながるという仕掛け。ブラウザを立ち上げ、普段使っているWebメールを開くと、ちゃんと日本語で
表示されるではありませんか(感動)。mixiも読むことはできましたです。スグに返信メールやmixiコメントを
書きたくなりましたが、PCに表示されている文字がサッパリ分かりません(恥)。きっとブラジルの公用語
「 ポルトガル語 」 なのでしょう。悩むのが面倒になり、不要メールを削除しただけでスグに敗退してしまい
ました(恥)。
◇ 旅日記4(2012年7月3日) 【 世界遺産:イグアスの滝(アルゼンチン側) 】 ☆ TOPへ戻る
写真左、写真中
「 悪魔ののどぶえ 」 。吸い込まれそうです。
写真右
アルゼンチン側で虹がキレイなのは朝10時頃までとか。
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◇5日目(7月3日(火))
モーニングコール 06時30分、お宿出発 08時00分。
今日は「イグアスの滝(アルゼンチン側)」へ。バスで再び国境を通過。国立公園入口へ向かいます。
入園後少し歩き、トロッコ列車の乗車駅へ着きます。15分位でしょうか、ゴトゴトと揺られ終点で下車。
滝の上(落下する前の)エリアに設けられた遊歩道を進み、轟音が聞こえ水しぶきが見えてきて
「 悪魔ののどぶえ 」 へ到着。昨日の日記の写真右、ジャングルが奥へと広がる方向がアルゼンチン側。
水の落下が湾曲して見える所が 「 悪魔ののどぶえ 」 と呼ばれるイグアスの滝のハイライトになる
最大の滝。滝に近い分、轟音はよりすざまじく、水しぶきをモロに浴びます。
ここへ至る途中にも何箇所か、水の落下点ぎりぎりの所を間近に見られる所があり、そのまま吸い込まれ
そうな迫力に足がすくむ感じです。
迫力のアルゼンチン側、全景を見渡せるスケール感が味わえるブラジル側、という趣き。
2日間、世界遺産をタップリ堪能させていただきました。
「 水が重力に従って落ちるだけ 」 と言えばそれまでですが、このスケールに至る、気の遠くなる程の
時の流れに、人を寄せ付けない大自然の驚異を思わずにはいられません。
その後、昼食は各国ツアー客専用と思わせる巨大なレストランでバイキング。
そして、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイが川で国境を接する三国国境地点を観光。世界的にそういう
場所は他に1か所だけだそうです ( ミャンマー、ラオス、タイ ) 。
絵的には面白い場所ではありませんでした。
更におみやげ店で無用な長時間休憩をとり、イグアス空港へ。搭乗待合室からの夕焼けがキレイでした。
*イグアス 20時10分発 → リマ 22時15分着
お宿到着は25時近くになっていました。翌朝の出発がナンと5時。速攻で寝るのみ。
◇ 旅日記5(2012年7月4日) 【 世界遺産:ナスカの地上絵 】 ☆ TOPへ戻る
写真左
パイロット2名と乗客12名で満員となる中型セスナ。
写真中
まもなくナスカ。荒涼とした地域です。
写真右
「ハチドリ」がちゃんと撮れてました(喜)。ご覧いただけますでしょうか??
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◇6日目(7月4日(水))
モーニングコール 03時45分、お宿出発 05時00分。
寝坊は許されないので、部屋の灯りはつけたまま。ほとんで寝ていない状態で、頭ボンヤリ。
全行程中、最も過酷な夜でした。
ナスカはリマから約444Kmも離れており、地上絵を見るフライトは約30分。ナスカへ行っても良いの
ですが、往復8時間かけるのはツラいということで、本ツアーではピスコという街の空港へ行きます。
リマから約250Kmで、それでも片道3時間ほどかかります。太平洋を右に見てひたすら 「 パンアメリカン
ハイウェイ 」 を南下。北米アラスカ州フェアバンクスを起点に、南米大陸南端のティエラ・デル・フエゴに
至る超ロングハイウェイだそうで、スケールが大きすぎてピンとこない感じです。
リマは大都会。しばらく進むと景色がだんだん変わってきます。農作地帯はわずかで、そのうち土の色は
砂漠のように。ピスコの空港は軍用で、一般人用には地上絵を見るフライトしか発着しません。乗客12人
乗りの中型セスナに乗るのですが、その前にチェックインカウンターで、スーツケースの重さを測る
重量計に乗り、体重測定。「 ペルーまで来て体重を測るの 」 と嘆く女性客多し。機体が傾かないように
配席を決める為とのこと。当方はパイロット席直後の左窓側の席を確保。ラッキー!?
ここから地上絵まで、30分程飛ばないといけないのですが、どうにも天気がハッキリせず、搭乗案内を
待つこと1時間30分(泣)。いいかげん待ちくたびれた頃、ようやく滑走路まで案内されます。
それにしても機内は狭いです。ブワ~んと音を響かせ、機体は一気に上昇しナスカを目指します。眼下は
本当に砂漠のようで、わずかな緑の中、ハイウェイの道筋がクッキリ見えます。地上絵は、出来立ての
クルマのわだちでさえ、上空からはハッキリと線に見える、この当地の土質が活かされているような
気がします。それはそれとして、とにかく曇っていて先行き不安です。
そして、いよいよナスカの上空へ接近。ありがたいことに、こちらは結構良く晴れております(喜)。
ちゃんと 「 お天気待ち 」 をしてくれたのですネ。地上絵は 「 意外と見えない 」 というウワサを聞いて
いたのですが、どうしてどうして・・・。パイロットのオジさんが、その都度 「 ハ~イ、トモダチ。右、翼の下、
ク・ジ・ラ~! 」 という感じでいちいち説明してくれます(笑)。1分ほど見せた後、今度は反対側の席の
人が見えるように、グワ~ンと旋回。胃が宙に浮くようで、これが実に気持ち悪い。
初めのうちは目が慣れていないこともあって、小さいモノはいくつか見逃しました(哀)。
写真より肉眼で記憶に残そうと努め、頑張りました(?)。今更ですが、巨大な三角形や作りかけ(?)のも
あって本当に不思議。成り立ちには諸説あるようですが、空から見えるよう意識されて出来たのは確実。
研究者の熱意が実って、保存されることになったというのもスゴいなと。ちょっと酔ってきた感じでヤバイと
思う頃、観光は終了。何とか無事にピスコ空港へ戻る事が出来ました。
昼食はピスコの街のレストランでシーフード。ここは漁業街で、レストランの前は海。エサを求める
たくさんの鳥が飛び回っていました。ペリカンもいましたよ。
リマへ戻る頃は夜になっており、中華料理の夕食をとりお宿へ。
明朝の出発も早いのですが、寝る前に一作業。明日はマチュピチュへ向かいますが、その際に乗る
列車には大きなスーツケースは載せられないので、前もって荷物を分けておかねばなりません。
( スーツケースはマチュピチュの次に泊まるクスコの宿へ送ります )
◇ 旅日記6(2012年7月5日) 【 世界遺産:クスコ市街(Part1) 】 ☆ TOPへ戻る
写真左
クスコ 「 サント・ドミンゴ教会 」 より町並みを臨む
写真中
オリャンタイタンボ駅へ向かう途中のレストランにて。ウルバンバ川に向いたガーデンにはアルパカが。
写真右
ペルーレイル/オリャンタイタンボ駅での乗車風景
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◇7日目(7月5日(木))
モーニングコール 05時00分、お宿出発 06時10分。
この日も早朝より行動開始。高山病予防ということで
今朝より期間限定で禁酒・禁煙でございます。
*リマ 08時20分発 → クスコ 09時40分着
標高154mのリマからひとっ飛びで標高3,360mのクスコへ。ここでスーツケースを別のマイクロバスに
乗せ、2日後に泊まるお宿へ別送されます。( 2泊3日用の軽装荷物でマチュピチュへ )
さすがに空気は冷んやり。晴天で紫外線ギラギラ。空気が薄い!という感覚はありませんが、高山病は
ジワジワと身体に浸透する(?)そうで、一般的には朝の到着なら夕方にその兆候が出てくるとのこと。
その前に標高2,280mのマチュピチュ村へ行ってしまおう、というのが 「 高山病を考慮した 」 本ツアーの
売りです。
クスコは15世紀後半にインカ帝国の首都となった世界遺産の街。ペルー最大の観光の街でもあり、何やら
騒々しいのです。どこかから音楽が流れ、観光客を見つけると物売りがドッと寄って来るという、ありがちな
光景が展開されます。イグアスのヘリポートやレストランにも物売りはいましたが、いたって静かというか、
積極性ゼロ(笑)。売る気が無い感じですが、ここでは生存競争の厳しさか、ものスゴく熱心(汗)。
手編みのニット主体の民族衣装をアンデス人形などで見ますが、もうそのまんまの恰好で、日常使いの
ウェアなんだと実感。皆さん、紫外線で自然に日焼けしているのか、コーヒーブラウンなお顔をされて
います。チベットと同じ感じ ( 行った事ないけど ) 。
クスコ市街観光(Part1)としてサント・ドミンゴ教会を観光。侵略したスペイン人がインカ帝国時代の
「 太陽の神殿 」 の石組みの上に教会を建てた、という二つの文化が混ざった建築。アルハンブラ宮殿
風のスペイン様式のパティオに向かって、宗教絵画がぐるりと飾られ、更にインカの石組の壁が囲んで
います。ちょっと小高い丘に上にあり、クスコの町並みがキレイに見えます。屋根の色が統一され、
意識的に保存されている雰囲気がいい感じです。
クスコの街から鉄道に乗ってマチュピチュ村まで行けるのですが、費用面からか約75Km先のオリャン
タイタンボ駅 ( 標高2,800m ) まではバスで移動し、いったん標高3,800mの山越えをします。
4~5000m級(?)の山並みが続く景色が実に素晴らしく、農場や牧場もあって、リマやナスカの景色からは
想像できない世界。途中、これまた観光客御用達なレストランでバイキング昼食をとりペルーレイルの
オリャンタイタンボ駅に到着。一気にマチュピチュに到着、という訳には行かないのです。
*オリャンタイタンボ 15時37分発 → マチュピチュ村 17時02分着
( by ペルーレイル 「 ビスタドーム 」 )
「 インカ道 」 を歩いて山越えする他に、陸路ではマチュピチュに行けないそうで、各国の観光客は誰も
この列車を利用します。駅の待合室は新宿駅並みに(?)ごったがえしておりました。
ペルーレイルは3種の列車を運行していて、中間ランクなのがこの 「 ビスタドーム 」 。この路線は山岳
鉄道でもあり、車両上部がガラス張りになっていて、険しい山並みがお席から望めるようになっています。
途中で、お茶とクッキーのサービスや、グッズ販売もあったりします。買っておけば良かったモノあり(惜)。
ウルバンバ川を左に見て、ディーゼルカーが引っ張る列車は単線の線路をゆっくり進みます。帰る時に
見たのですが、逆方向から来る列車とすれ違う際に、機関車から鉄道員が降りてきて、ポイントを手動で
動かしてました。たぶん日本ではもう見られない、素朴な光景です。
途中から雨が降ってきましたが、マチュピチュ村到着時には止みました。はてさて明日のお天気は??
( もうお分かりでしょう、笑 )駅を出るといきなり険しい山が迫っており、明日の絶景を予感させます。
おみやげ店が集まるアメ横状態のエリアを通り抜け、街全体の素朴な雰囲気の中、小じゃれた感じの
お宿まで徒歩数分。ロビー横のPCコーナーでメールチェックできたり、お部屋では 「 NHK World 」 が
観れたりと、山奥にしては便利なお宿です。
一つ失敗発覚。2泊3日用の軽装荷物に何故かパジャマを入れ忘れてました(恥)。ありがたい事に
部屋にバスローブがあり、これを着て寝た次第。
◇ 旅日記7(2012年7月6日) 【 世界遺産:マチュピチュ歴史保護区 】 ☆ TOPへ戻る
写真左 おなじみの光景
写真中 西側にも険しい景色が広がっています。
写真右 「 太陽の神殿 」 と段々畑
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◇8日目(7月6日(金))
モーニングコール 06時30分、お宿出発 08時00分。
夜中はかなり冷えました。今夜は暖房を入れた方が良さそう。
やっとこの日が来た!との思いで、いたって元気。駅前近くのマイクロバス乗り場には早くもお客が
集まってます。発見者の名前をとって 「 ハイラム・ビンガム・ロード 」 と呼ばれるくねくね道を、このバスで
一気に登りつめます。約25分で標高差↑400mの遺跡入口に到着。やはり観光客で大混雑。
遺跡内には当然トイレなどなく、ここの有料トイレでサッパリしておくことが大事(汗)。そのため現地通貨に
両替しておくよう事前にツアコンの方に厳しく(?)言われておりました(US$10=24ソル位)。
入り口でパスポートチェックを受け、山道を登ります。とにかく良いお天気で、昨日の夕方の雨模様が
ウソのようです。道は特に急でもなく、時々休みながら約15分くらいでしょうか。いきなり目の前に
おなじみの光景が広がり、誰もがオーッと思わず歓声を上げるのです。想像していたよりはるかに
広大で、遺跡全体に高低差があります。
イグアスの滝の日記にも書きましたが、このスケール感は写真のフレームには収まりきらないです。
どこで撮っても絵になる風景。撮影場所の定番「見張り小屋」を皮切りに、写真を撮りつつ約3時間かけて
モデルコースを一周。それぞれ異なる役割を持つ様々なエリア分けが施された、一つの都市が形成
されている様子をガイドの方に詳しく解説していただきます。
パパラッチ的カメラマンもしっかり後を着いてきます。
*遺跡内各地の写真を 「 アルバム 」 にご用意( 日記での詳細は割愛 )。
侵略してきたスペイン人が、高地で発見(破壊)できなかったというこんな高い所に石造の都市があった
なんて、本当に驚きます。300~1000人がここで生活していたといわれ、そのための段々畑や神殿には
ちゃんと水路が通されており、都市としての機能も万全。( 神殿の水洗トイレは 「 世界不思議発見 」
でも紹介されてました)マチュピチュは1450年頃に造られたとされ、日本では室町時代半ば。インカ帝国と
聞くと、もっと大昔の時代という印象がありますが、意外と最近(?)なんだなと感じます。
しかも昨年が、ビンガム氏の発見から100周年というのにも驚きます。
こういった遺跡にどうして人は引き付けられるのでしょう。人間の偉業は本当にスゴいとしか言えません。
そして栄華はいつか滅びる、という証しなのでしょうか。エジプト ( ピラミッド ) やカンボジア
( アンコールワット ) へ行った時にも同じような事を思いました。
3時間の遺跡一周ツアーでさすがに歩き疲れたところで、バス乗降場に戻り、域内唯一のホテル 「 サンク
チュアリ・ロッジ 」 でバイキング昼食。その後は本ツアー唯一の自由行動タイム。もう一度、遺跡に入る
人もいましたが、私はふもとの村に戻り、散策したり友人に絵葉書を書いたりして過ごしました。
ここは本当に小じんまりとした 「 村 」 です。川の両側に色々なお店や宿泊施設がならび、実際に温泉も
あって、群馬県の山奥あたりにありそうな温泉場の趣きさえあります。
夕食後にも広場に行きましたが、地元の子供たちの演奏会や踊りのパフォーマンスの準備中でした。
諸外国からの観光客と、それを見守る地元の人々が、不思議で素朴な雰囲気をかもし出していました。
夜遅くまで行事は続いていたらしく、真夜中にドドンと花火が上がり、それで目が覚めてしまいました。
【閑話休題】
Eテレ 「 SUPER WOMAN 」 によると、Y様はマチュピチュの地で 「 春よ、来い 」 のインスピレーションを
受けたとか。そうだったんですか?? 初めて知りました。 「 そんなこと、聞いてないよ 」 と思ったのは
ワタクシメだけ?(汗)
◇ 旅日記8(2012年7月7日) 【 世界遺産:クスコ市街(Part2) 】 ☆ TOPへ戻る
写真左
ペルーレイルにさようなら(オリャンタイタンボ駅)。
写真中
クスコのアルマス広場に面して立つカテドラル。1550年に建設が始まり完成は100年後だそうです。
写真右
お宿の窓から見える夕暮れのクスコの街。気温がだんだん下がってきます。
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◇9日目(7月7日(土))
モーニングコール 06時30分、お宿出発 08時30分。
ハイライトのマチュピチュ歴史保護区の観光が終わって、さすがに淋しさが後を引く早朝。朝食前に
もう一度、アルマス広場周辺を歩いてみました。昨夜の喧騒の跡形も無く、ひっそりとしておりましたです。
さあテキパキと日本へ帰りましょう、とはならないのが今回の大旅行の醍醐味(?)。
若干小ネタな感じですが、まだまだ観光は続きます。
*マチュピチュ村 08時53分発 → オリャンタイタンボ 10時52分着
(by ペルーレイル「ビスタドーム」)
来た時の逆ルートでクスコの街に戻ります。今日のお天気も良く、アンデスの山並みが実に美しいです。
一昨日とは異なる、やはり観光客ご用達のレストランでバイキング昼食。話しの種にとアルパカの肉を
一切れいただきます。ちょっと筋張っていましたが、ソースの味に助けられ完食。レストランのサービスで、
食事中にバンド演奏が流れます。皆さんおなじみの歌謡曲でしたが、題名はもう忘れました(恥)。
クスコに到着後、市内を回るわけですが、バスでの移動は便利な反面、距離感が分からず、面としての
広がりがサッパリ分からないという弱点があります。ツアー一行は、誰もがマチュピチュ訪問を最大の
楽しみとしており、興奮の後の疲れも手伝って、この市内観光は意気込みが弱いというか 「仕方が
ないな 」 という空気感が漂ってます(汗)。でもそれは勿体無い。世界遺産の街ですよ。
数々のスペイン式の建物や街づくりは、当時のスペイン統治の威力を見せ付けられるようです。
アルマス広場の周囲には歴史的な建造物が多く、カテドラルや 「 12角の石 」 を観て回りました。
このへんは、物売りの人にとっては恰好の商売場所でもあります。
一昨日に「 Part1 」があったため、予定より早く17時頃にお宿到着。
夜は「フォルクローレ・ディナーショー」。と言ってもコース料理がでてくる間に、地元のバンドが歌や演奏を
繰り広げるという素朴なモノ。長さを変えた細い管を何本かつなげた楽器の音色が、いかにもアンデスな
感じで、実に心地よく響いてきます。やはり 「 コンドルは飛んでゆく 」 が聴けました。
ここで禁煙解除。高山病にかからず良かったです。
今夜はベッドで寝られる最後の夜。ちゃんと寝ておきましょう。
◇ 旅日記9(2012年7月8日) 【 世界遺産:リマ歴史地区観光 】 ☆ TOPへ戻る
写真左
アルマス広場に面するペルー最古のカテドラル。
写真中
何だったか思い出せない荘厳な建物(汗)。
写真右
最後のディナーは日本食レストランにて。文字の大きさが間違っていて、笑えます。
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◇10日目(7月8日(日))
モーニングコール 05時30分、お宿出発 06時50分。
相変わらず活動開始は早い。外観はかなりガタがきた感じのお宿ですが、中は欧風調のクラシックな
趣きにあふれ 「 住めば都 」 と思えるかも。私の部屋は浴槽付きでしたが、昨日チェックイン後にツアコン
から電話があり 「 浴槽については他言厳禁 」 とのこと。シャワーのみの部屋もあるようで、モメない事も
大事です(汗)。夜はかなり冷え、暖房を入れて寝て正解でした。映り具合は悪いですが 「NHK World 」が
見れました。オザワ氏が新党を結成したらしいです(ため息が出る)。
朝食は卵料理の無いコンチネンタルスタイル。ロビー集合の際、マチュピチュのCD-ROMをデモしており、
ハズミで買ってしまいました(US$20)。ほとんどが遺跡の静止画像集で、我々が映っている部分は
終盤の数分(哀)。酸素缶を現地ガイドに返し、バスでクスコ空港へ向かいます。全ての客はスーツ
ケースを開けさせられ、中身を検査されます。ここまでやる空港は全行程中ここだけでした。
*クスコ 08時50分発 → リマ 10時15分着
リマは大都市。変化に富んでいて、意外と楽しめました。植民地時代の建造物にあふれる旧市街には、
歴史ある建物が散在しています。イメージ的に東南アジアの熱気を感じます。紀元後500~600年
あたりのリマ文化の遺跡も街中にあり、さすがに世界遺産に指定されるだけあると思いました。
どんな家でも門やドアや窓には、鉄格子状のガードが施され、あまり治安は良く無さそうです。昼食は
( いつもと同様 )観光客御用達の巨大レストラン。私設警備員に守られてました。
クルマを運転できれば、誰でも自分のクルマでタクシーを営業できるのもお国柄でしょうか。
新市街 ( ミラフローレス地区 ) は太平洋に面し、高級住宅街やシネコンもあるショッピングモール、
ホテル(JWマリオット)等が集まって、いたって近代的。来場客はあかぬけていて、みんなお金持ちの
ように見えます。海岸の公園には、恋人が横たわり、抱き合ってキスをしている超巨大なモニュメントが
あり、どうにもこうにも趣味が悪く思えます。いかにも南米風ということにしておきます。
ペルーといえば日本大使公邸テロリスト占拠事件がありました。その現場と、今の公邸にも立ち寄り
ました。フジモリ大統領は塀の中の人となりましたが、親類縁者が政治活動を続けており、政界進出熱は
冷めないようです。
そんなこんなで夕方になり、地元のスーパーマーケットをのぞき、いよいよ最後の晩餐、日本食レスト
ランへ。 「 豚カツ+エビフライご膳 」 とでも言えそうなワンプレート。漬物、味噌汁もついていて、ご一行様
には大好評でした。当方、グルメではないので食事の事を詳しく書けずスミマセン。
いかにも現地らしい料理として、ブラジルでシュラスコが出ました。まあ要はバーベキューで、感動する
ほどではありません(汗)。地元産のビールやコーヒーは余り美味しくなく、予想外でした。その代わり、
野菜やジュースはどこでも美味しかったです。
そして空港へ到着、深夜便でペルーを去る事になります。
少し長くなりますが、チェックインカウンターでの出来事を。。 「 ここで預けた荷物を羽田で受け取りたい 」
というニーズに応え、添乗員の激務が始まります。羽田発から南米内のフライトを含め、羽田着まで通しで
eチケットが発券されています。帰国便は往路の逆で 「 サンフランシスコ→羽田 」 。ただし 「 リマ→
ロサンゼルス→サンフランシスコ 」 と米国内で乗り継ぎ。「 ロサンゼルス→サンフランシスコ 」 部分が
他とは別予約となっていて、その搭乗券をここで出さないと、荷物の羽田直行にはならないとのこと。
その米国国内線はアメリカン航空(AA)で、AAもJALもLANも 「 ワンワールド 」 連合加盟なので、こんな
芸当が出来るのでしょうか??とにかく単純ではないので、添乗員は言いたい事を紙に書いて、複数の
カウンターを右往左往しつつ、係員の説得にあたります。本当にご苦労様。私を受け付けた男性は、
試行錯誤を繰り返しますが、一向にはかどらず、隣りのベテラン女性に操作してもらってました。
また別のお客さんは更にはるかに待たされています。トラブル発生か!? 後で聞いたら 「 ESTA ( 電子
渡航認証システム ) の記録が無いと言われた 」 と。米国に入国して南米へ来たわけで、おかしな
ハナシです。それはそれとして 「 航空会社は、ESTA申請を済ませたかどうかを搭乗前に確認する 」
のですね。知らなかったです。一つ知識が増えました。事前のESTA申請や、米国入国時に指紋を採取
され、顔写真を撮られるのも、みんな 「 9.11 」 がきっかけですね。そうそう、米国内で 「 全身スキャナ 」
を体験しましたです。機種に色々なタイプがあるのが分かりました(笑)。
そんなこんなで出国手続きを通過。深夜便の搭乗まで、待合室でひたすら眠気と戦います。
なかなか日本に帰れません。
◇ 旅日記10(2012年7月9日) 【 サンフランシスコ市内観光 】 ☆ TOPへ戻る
写真左
アメリカンテイストにあふれてます。
写真中
これぞサンフランシスコの代名詞、金門橋。霧がよく出る街で、これでも良く見える方だとか。
写真右
ユニオンスクウェア。懐かしいです。。
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◇11日目(7月9日(月))
*リマ 01時10分発 → ロサンゼルス 07時50分着
*ロサンゼルス 10時30分発 → サンフランシスコ 11時50分着
今頃ナンですが、日記記載のフライトの時刻は出発前に届いた最終旅行日程表に記載されたものです。
帰国のフライトが過酷な事は承知のうえで参加したのですが、実際は眠気のおかげで、今にして思えば
苦労は感じなかったです。 「 リマ→ロサンゼルス 」 は8時間40分。何も覚えていません。
ロサンゼルスでの国内線乗り換えの際は、サンフランシスコが霧のため、出発が2時間ほど遅れ、
さすがに待ちくたびれました。バッグにしのばせておいた小説の文庫本が役に立ちました。
14時頃にサンフランシスコに到着。10日ぶりに戻って来て懐かしい感じがします。
羽田へのフライトまで約5時間半。限られた時間を有効に過ごすのが本ツアーの大きなメリット。
まず湾岸のフィッシャーマンズワーフへ行き、名物 「 クラムチャウダー 」 の昼食。シーフード風味が濃厚、
容器のパンを崩していただく。本ツアーは全食事付きでしたが、一番美味しかったかも(喜)。
紫外線が強いのか、景色のコントラストが実に鮮やか。建物はどこもキレイで 「 カリフォルニアの青い空 」
に映えてます。汗ばむ感じはなく、気温はちょうど良いくらいでした。
それにしても当地最大の観光地であり、夏休みが始まっているとはいえ、この大混雑は異常。監獄島
( アルカトラズ島 ) 行き乗船場にも人があふれてます。ディズニーランドやラスベガスを引き合いに出す
までもなく、アメリカのこういった施設は本気で作っていると、いつも感じます。
食後はお決まりのようなルートを巡るプチ市内観光。まるで絵葉書のような「ゴールデンゲートブリッジ」。
タイミング良く霧が晴れて、最後までお天気には恵まれました。車窓よりチャイナタウンを見て、ユニオン
スクウェアでは数分下車。おなじみのケーブルカーが行き交い、「 30年ほど前に確かに来たぞよ 」 と
懐かしく思い出しました。その時にはヨセミテ国立公園へ行ったハズ(記憶は薄い、哀)。
物足りなさとおトク感の両方を抱きつつ、空港へ戻ります。あとはひたすら搭乗を待つのみ。
ラウンジで何とかLANにつながり、旅先での最初で最後の日記を書きました。
*サンフランシスコ 19時25分発 → 羽田 翌日22時25分着
◇ 旅日記11(完、2012年7月10日) 【 帰国 】 ☆ TOPへ戻る
*今日の写真はガイドブックには無いような、自分なりに印象に残ったシーンを並べてみました。
写真左
イグアス川と大密林( 7月2日(月)、ヘリ遊覧飛行にて )
写真中
何げない夕暮れ( 7月3日(火)、イグアス空港待合室にて )
写真右
閑散とした朝の広場( 7月7日(土)、マチュピチュ村にて )
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◇12日目(7月10日(火))
*サンフランシスコ 前日19時25分発 → 羽田 22時25分着
羽田へ着いたところで旅日記を終えたいので、もう1日分お付き合いを。
11時間のフライトでしたが、寝たり起きたりを繰り返し、ずっと頭がボンヤリしていたようで、何も覚えて
いません。ふだん乗り物内では寝られないほうなのですが、「 案ずるより何とか 」 で、身体はそれなりに
反応したと。ほぼ予定通りに羽田空港へ到着。機外へ出るやモワ~ッとした空気に包まれます。
冷房は効いているものの、ジワジワ汗が出てきて 「 ここは熱帯か!! 」 。南米は季節が反対で乾季の所が
多く、マチュピチュ、クスコで朝晩少し冷えた程度で、気温は快適でした。
( 帰国後は時差ボケに猛暑が加わり、その後10日ほど体調不良 )
終わってしまえば、充実しつつもあっけない12日間でした。期間中、日本人と遭遇することはあまりあり
ませんでした。場所や年齢に関係なく、彫りの深い顔の人々に囲まれ、 「 平たい顔族 」 な日本人を意識
せざるを得ませんでした(笑)。所々で貧富の差と同時に、人々の活気も感じました。
南米の国々は、経済的にはまだまだ発展してゆくことでしょう。ペルーは見所が多く、興味が尽きない国
だと思いましたが、もう2度と行くことはないでしょう。
Y様が感じた 「 磁力 」 を自分が感じたかは何ともいえません。ただ身体を張っての長距離移動を伴い
感動した分、思い出も長く残るに違いありません。
駄文を書き続けた旅日記におつきあいいただき、どうもありがとうございました。
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